あんまり脳内メモリを信用しないほうがいいという話

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言いたいことはタイトルのとおり。

 

ぼくは自身の脳内メモリを過大評価してしまっている。

 

たとえばダイエット

「カロミル」というアプリで食べた物を書き出していたときは、おもしろいほど体重が減っていった。

それもそのはずで、一日の摂取カロリーの上限を1800とし、これを厳守していたから。

 

間食を摂った場合にもきちんと記録して夕食を調整するし、その反対に夜にアポがある日には間食を控えるなどして調整した。

つまりは、全て足し算引き算の計算があるだけ。

かけ算すらない。

 

ところが10月頃から、カロリー計算にも慣れてきたし目分量でいけるやろ、と思って書き出しをやめてからは、なかなか体重が減らなくなった。

否、体重が減らなくなったのではなく、自分の想定以上にカロリーを摂取していた。

自分ではだいたい1800だと思っていても、実際には2000~2100ほどを摂取していたのだと思う。

 

 

たとえばナンパ

たくさんの○○ルーティーンを頭にたたき込んでいざ出撃しても、終わってみればほとんどの法則やテクが実用されていなかったことに気付く。

体に染みこませて無意識に行動できるようになれればいいのだけれど、そうならないうちは、メモを用意して、実践できているかを小まめに振り返るなどの工夫が必要だ。

 

 

たとえばイデア

これは仕事の場合にもプライベートの場合にも通じると思うが、

良いひらめきの声はおどろくほど小さく、そして儚い。

脳内メモリに保管したつもりでも、次の日には忘れている。

 

mustなことは脳内メモリにもきちんと記憶されるが、wantなことは大体忘れるか、後回しになることが多い。

人生を豊かにするのは、他人からの要求に応えるmustの遂行ではなく、地道なwantの積み重ねだと思う。

しかし、そうしたwantはやらなくても誰に怒られるわけでもないから、なかなかモチベーションを維持することが難しい。

 

 

たとえば買い物

最新のガジェット(あるいは車)が欲しくなって、脳内であれこれと妄想しつつ、ネットで関連情報を漁っているときはたしかに気持ちがいい。

このガジェット(車)を手にしたならば、どんなに快適な暮らしが待っているだろうと。

 

だがよく考えてほしい。

その動機の正体とは、大抵は見栄であることを。

 

ほんとにその商品が必要なのか。

もっと安価でも、目的を達するに十分なスペックの商品があるのではないか。

 

一度、その商品のメリットやデメリット、またどうしてその商品が必要であるのかを紙に書き出してみる。

 

女にモテたいがために最新のSUVが欲しいと脳内で妄想する。

たしかに最新のSUVに乗っていれば女からかっこいいと思われそう(少なくともダサいとは思われない)気がする。

 

しかし、目的(女にモテたい)を満たすための方途は、ほかにいくらでもあるだろう。

 

常に目的から逆算してスペックを吟味する。

ほんとに必要か。この商品でなければ目的は達成されないのか。

 

こうした思考を、(見栄に汚染された)脳内で行うことは非常に困難だ。

だから、紙に書き出して、冷静に分析し、目的実現に向けてDCAPを回す。

 

仕事ならば誰でもやっていることだ。脳内だけで戦略会議をすることはない。

 

同じように個人的な願望についても、アウトプットを続けていきたい。